織田文化歴史館 デジタル博物館

1 雨田光平とは

 雨田光平は明治26年(1893)に、福井市の紙問屋に生まれた。本名は外次郎。

 福井中学校在学中、美術教師から作品をほめられた光平は美術の道に進むことを決め、明治44年(1911)、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の彫塑部彫刻科へ入学した。

 東京美術学校研究科に在学中、大正5年(1916)の第10回文展(文部省美術展覧会)に初出品した「女の顔」が入選し、さらに当時の文部省へ買い上げられた。この作品は、現在も東京国立近代美術館に所蔵されている。

 大正9年(1920)、光平は結婚したばかりの妻を連れてアメリカへ渡った。アメリカでは家具会社でデザイナーとして働いていたが、当時住んでいた家の近所でハープを教えているのをきいてハープを習い始める。学生時代から箏曲京極流に入門し、音楽にも造詣の深かった光平はハープを学ぶため、病身の妻を日本に返して単身フランスへ渡り、パリ音楽学院の教授でハープ奏者でもあったトュルニヘに師事した。

 当時のヨーロッパには、日本人の芸術家達が多数滞在しており、その中の1人であった日名子実三は帰国後、一般の人々による美術家団体構造社を結成し、雨田光平の帰国と参加を促した。フランスから帰国した光平は東京に家とアトリエを構え、構造社に参加した。今までとはがらりと作風を変えた「母と子」や「哺乳」など作品を次々と発表し、注目を集めた。しかし、第2次世界大戦が始まると、材料不足や空襲によるアトリエの焼失から制作活動が難しくなり、光平は福井に帰郷することを決意する。

 福井に帰郷後の光平は、福井市内のデパートに勤めたり、大学の講師をしたりしながら、彫刻の制作の他、箏やハープの演奏活動に務めた。再び東京へ戻ることを勧める声もあったが、光平は故郷で芸術活動を続けることを選び、昭和60年(1985)、94歳で亡くなるまで福井に住んだ。福井県内の建物や学校には、今でも雨田光平の作品がたくさん残っている。


雨田光平肖像

2 雨田光平と越前町

 雨田光平の日記によると、昭和30年代から40年代にかけて越前海岸を訪れていたことが書かれている。東京美術学校の同期、洋画家の曽宮一念をはじめとする友人達と訪れ、絵を描いたり旅館で新鮮な魚介類を楽しんだり、時には依頼を受けて作品を制作していた。光平の日記に登場する旅館は、えびす荘、伊部旅館、こばせ(以上梅浦)、千鳥屋(厨)、浜善旅館(左右)などで、中には現在も営業しているところもある。厨の蛭子神社前に設置されている「上田千代三郎翁像」は光平の作品である。

 また、越前町は日本六古窯の1つである越前焼の産地として知らており、現在も越前焼の窯元が制作に励んでいる。光平は福井県窯業試験場の他、越前焼の窯元や瓦工場で働く職人たちの協力を得て、県内の学校をはじめとする公共施設のための作品を制作した。

 音楽にも造詣が深かった雨田光平は、明治44年(1911)、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学と同時に箏曲京極流に入門し、その後、昭和6年(1931)に2代目宗家を継承する。箏曲京極流は昭和39年(1964)に福井県指定無形文化財に指定され、昭和48年(1973)に国の選択無形文化財に指定された。その保持者として認められた光平は、福井県窯業試験場で記念品として越前焼湯呑「初夏草心抄」をつくった。

 「初夏草心抄」は昭和23年(1948)の福井地震で被災し、病身の妻を亡くした後、光平が作詞作曲した箏曲京極流の曲でもある。

 福井大地震の翌年昭和24年(1949)、雨田光平は福井市役所から依頼を受けて震災記念碑の制作に協力した。記念碑には光平の手による「震災」「建設」「平和」をテーマにした3枚組の陶板レリーフが納められることになり、そのレリーフは福井県窯業試験場で制作された。祈念碑は長く福井市役所の前庭にあったが、市役所改築時に中央公園に移転された。その後も場所を変えたが、今は中央公園に立っており、雨田光平記念館には「震災」の部分のレリーフだけが保管されている。

3 略歴

明治26年(1893) 2月1日福井県福井市に生まれる
明治44年(1911) 東京美術学校彫塑科(現 東京藝術大学)に入学
大正 5年(1916) 文展に初出品した「女の顔」が入選、当時の文部省が買い上げる
         (現在は東京国立近代美術館に収蔵)
大正 6年(1917) アメリカへ渡航し、パリ音楽院教授でハープ奏者であったマルセル・トュルニヘに師事する
昭和 4年(1929) 帰国。東京にアトリエをつくり、在野の芸術家団体「構造社」に所属して作品を発表する
昭和20年(1945) 福井に帰郷し、県内公共施設などにたくさんの作品を制作する
昭和60年(1985) 11月14日逝去
平成13年(2001) 遺族により町へ作品寄贈、雨田光平記念館開館


母と子

ギターを弾く女


柴田勝家像試作

※本文は、雨田光平記念会『雨田光平芸術生活五十年記念』1959年、福井県立美術館『雨田光平展図録』1988年、福井市美術館『雨田光平展図録』2000年、保堂会教育福祉財団『中学生のための福井県内美術館ガイドブック』2010年 をもとに執筆したものである。