1 無形文化財一覧(県指定以上)
(1)重要無形文化財
指定 区分 |
種 別 | 名 称 | 時 代 | 地区 | 指定年月日 |
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県 | 無形文化財 | 越前陶芸大かめねじたて成形技法 | 平安時代に発祥 | 昭和61年3月28日 |
(2)重要無形民俗文化財
指定 区分 |
種 別 | 名 称 | 時 代 | 地区 | 指定年月日 |
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県 | 無形民俗 | 八田獅子舞 | 八田 | 昭和61年3月28日 | |
県 | 無形民俗 | 明神ばやし | 江戸時代初期 | 織田 | 昭和46年4月16日 |
2 無形文化財一覧(町指定)
(1)無形民俗文化財
指定 区分 |
種 別 | 名 称 | 時 代 | 地区 | 指定年月日 |
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町 | 無形民俗 | 願人坊踊 | 天王 | 平成10年12月14日 | |
町 | 無形民俗 | 八坂神社の神事 | 天王 | 平成4年3月5日 | |
町 | 無形民俗 | 稚児桜太鼓 | 樫津 | 平成9年11月1日 |
3 無形民俗文化財
(1)八田獅子舞(県指定) 八田
八田獅子舞は江戸時代より八田区に伝わる獅子舞で、囃子方に太鼓・笛・金が加わり、悪魔払いの舞・本獅子の舞・にらみの舞・剣の舞・三番叟の舞・あがきの舞の6種類の舞で構成され、区の総宮柳田神社の10月上旬におこなわれる秋の祭礼に奉納される。
獅子舞に参加できるのは男性のみで、宵宮の夜、三体の獅子の手入れと御幣を作り、神殿に安置する。本祭早朝には総宮に集まり礼拝の後、悪魔払いの舞・本獅子の舞・にらみの舞・剣の舞・三番叟の舞・あがきの舞、の順で舞を奉納する。
御神酒をいただいた後、地区内の各社と家々を悪魔祓いのため訪問する。各戸では家族総出で玄関に立ち、初穂と飾り餅を交換の後、悪魔祓いの舞、本獅子の舞、あがきの舞を舞い上げる。
子供獅子も、総宮と近所での舞を演じる。獅子舞に関する記録がかつては残されていたが今はなく、記憶として江戸時代の中頃からと伝えられる。昭和61年、福井県無形民俗文化財に指定された。
八田獅子舞
※本文は、福井県教育委員会「福井県の文化財ホームページ」より引用・一部改変したものである。
(2)明神ばやし(県指定) 織田
明神ばやしは越前二の宮劔神社に奉納される太鼓芸能で、寛文3年(1663)の再興記録があることから、かなり古くから行われていたと考えられる。地元では「だいずる」「だいずり」とも呼ばれている。旧織田町では豊年が3年以上続いたとき、「おわたり」という大祭を行ったが、この期間中、神輿や獅子舞などの行列が村内を練り歩き、その先頭と後尾の屋台の上で、大人組、子供組が交互にこの太鼓芸能を奉納したという。
現在の明神ばやしは舞台で上演するようになったもので、囃子方として笛が加わる。太鼓の打ち手として参加できるのは「織田大区」と呼ばれる、昔から劔神社の氏子であったといわれる地区の男性のみである。服装は法被に鉢巻で、「地」と呼ばれる伴奏役の太鼓は細い撥を使用するが、はやし太鼓の打ち手は太く短い撥を使い、天つき・肩うけ・腰とり・耳かき・はかまさばき・たすきがけ、と呼ばれる踊りのような独特のしぐさで太鼓をたたく。
大人太鼓では、これに「茶利」と呼ばれる面をかぶった道化役の打ち手が加わる。子供の太鼓では打ち手は左右一列に並び、先頭が太鼓をたたき、後ろは先頭のしぐさだけを真似する。打ち手はしぐさが変わるごとに次々と交替しながら打ち続ける。昭和46年、福井県指定文化財となった。
明神ばやし
※本文は、福井県教育委員会『福井県の民俗芸能 福井県民俗芸能緊急調査報告書』2003年、福井県教育委員会「福井県の文化財ホームページ」より引用・一部改変したものである。
(3)願人坊踊(町指定) 天王
願人坊踊は、八坂神社祇園祭と深い繋がある。昔から田中の郷(22ヵ村)の人々が祇園牛頭天皇(八坂神社)の深い信仰のきずなのもとに、営々と自然の開発をすすめ、人の和合をはかって今日の基礎を築いてきたのである。八坂神社の祇園祭は近郷にない盛観を極めた夏祭りで、毎年行われていたが、後には隔年ごとになり、それとともに神幸行列も簡略化して神輿を2区がそれぞれはさんで囃・踊・飾物で本社と田中の間を供奉した。戦後は神輿渡御も人力に頼れず車になり、伝統の願人坊踊りも請負の芸人によるようになってしまった。
願人坊踊とは、江戸時代に活躍した下級僧が、頼まれた者に代わって代参する代願人のことである。そして寺社奉行の支配をうけ、門前に居住し、お札を配ったり、群をなして唄い踊り歩いた。このような念仏踊系統の唄や踊が、願人坊主によって諸国に流布されたのが天王社の神賑に定着し、今日まで受け継がれたものと思われる。青年もしくは少年数人が桜花をつけて編笠もしくは鉢巻に浴衣を着、前垂れをつけ、うしろで結びさげの襷がけをする。囃子は壮年の男連中で、鳴りものは笛・鉦鼓・拍子木・手摺りを用いる。囃子は祇園囃子といわれ「伊勢音頭」「お客さん」「住吉踊り」「豊年踊り」「奴さん」等がある。
天宝では古くから祇園祭に奉納されていたが、太平洋戦争で中絶した。戦後、祭礼は復活したが願人坊踊は廃絶の危機に迫られ、昭和43年有志が相諮り古老から伝授・練習し「願人坊踊」の復活となり、昭和59年保存会を結成し、天王、宝泉寺区内の小学生男子に教えることとしてその保存に努めている。
願人坊踊
※本文は、朝日町誌編纂委員会 編『朝日町誌』通史編2 2004年 より引用・一部改変したものである。